「支援される側」から「支援する側」へ
アクティブ・シニアが面白い
認定NPO法人
プラチナ・ギルドの会
理事長 / 久保 健 Kubo Ken
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足、この生き物は何か?」
答えは「人間」。
皆さんご存じのスフィンクスが旅人に問うなぞなぞでは、一生を朝、昼、夜に例えました。
それでは、「朝は遠くて、昼は近く、夜は狭くなるものは何か?」その答えは「人間の視野」です。
こどもの頃は、将来の大きな夢に憧れていたのに、大人になると、目の前の今日を生きることに四苦八苦し、更に歳をとると、今までの経験の中だけで満足するようになるからです。
しかし、必ず「夜は狭くなる」のでしょうか?
人の生き甲斐は、自分が誰かの為になる、社会における行動価値を認め合うことから生まれるのではないでしょうか?
歳をとってこそ、視野を広く持ち、私たちを取り巻く社会を見詰め、あらためて、人との繫がりの中で、自分の在り方を求めて生き続ける必要があります。
「人は、夜こそ広くありたい」と思うのです。
プラチナ・ギルドの会は、退職シニア世代の団体ですが、「共生社会の実現に向けて、社会的な絆を紡ぐ中間支援団体」、つまり、「NPOを支援するNPO」です。
世の中には、社会課題の解決に向けて素晴らしい活動をしているNPOが数多くあります。そうした団体の活動を、より効果的に続ける為にNPO同士で連携したり、これからは社会課題の分野で、新たに活動したいという方々への案内役をするのが、私たちの使命です。私たちは、「小さな力を大きな力に変える絆づくり」を目指し、開かれたNPOとして、より広い視野で多くの方々と関わりながら、実践を重視した活動を行っております。
私たちと一緒に、「これからの自分」を見つけてみませんか?
理事長プロフィール
1977年 (株)住友銀行入行
2008年 プロミス(株)代表取締役社長
2012年 (株)三井住友銀行 副頭取
2014年 三井住友カード(株) 代表取締役社長・会長を経て現在同社顧問
2020年 (株)ツガミ 取締役会議長(社外取締役)
2021年 認定NPO法人プラチナ・ギルドの会 副理事長を経て2022年10月、理事長に就任
2023年(公益)日本フィランソロピック財団評議員
2025年 (公益)SMBC財団評議員
職歴の大半においてリテール金融に従事。座右の銘は「離見の見」で、情熱を燃やしつつ常に冷静な自分を保つこと。
2026 年頭のご挨拶
皆さま、新年明けましておめでとうございます。
今年も、皆さまにとっても幸多い一年となられますよう心よりお祈り申し上げます。
さて、先日のこと、「障がいや生きづらさを抱える人たちでも利用出来るユニバーサル農園を造ろう」、という議論をしていたのですが、ふと、あらためて、“ユニバーサル”って何なのだろう?と考えてみました。ユニバーサル、勿論、宇宙的・国際的という意味もありますが、ここでは一般的・普遍的、つまり、人それぞれの能力や個性の違いに関係なく、誰もが使いやすい、参加しやすい、という意味ですね。
ところが、ユニバーサル・デザインの遊具で、実際に障がい者や生きづらさを抱えている人たちと一緒に遊んだ健常者は殆どいません。また、ユニバーサル・デザインだから爆売れしているという文具も、あまり聞きません。障がい者専用商品と理解している人もいるくらいです。
いったい何故なのでしょうか?
それは、私たちが無意識のうちに、健常者と障がい者との間に見えない壁を造るからです。
いつの間にか見知った者同士で集まってしまい、一緒にデザインについて考えることも、一緒に体験することも、放棄してしまっているからです。
考えてみれば、人間が自らの存在意義を知る為に、同類の仲間を探し出し壁で囲い込むことは、至極、当たり前のことで、社会づくりの初めの一歩、決して否定すべきではありません。しかし実は、Diversity(多様性),Equity(公平性)&Inclusion(包摂性)を実践する上で、この私たちの心の中で造ってしまう「見えない壁」こそが、やっかいな存在なのです。
2年前になりますが、アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した「関心領域」という映画がありました。
アウシュビッツ収容所のすぐ隣で暮らす、ナチスの幸せな家族の生活を描いた作品ですが、人間の関心領域が、何とエゴイスティックで排他的なものなのか考えさせられました。しかしながら、私たちの築く壁は、私たちの心の中にあり、あくまで「見えない壁」です。ということは、壁の外は見えているはずですから、私たちが「外を見ないようにしている」という意識の問題であり、その気になれば壁を超えることは難しいことではありません。
情報化の進展で、自分の見知った同類の人間だけで生きていくのは非現実的な世の中です。社会環境の悪化が、自分達の小さな世界にも大きな影響をもたらします。社会課題解決の必要性は、実は「我が事」なのです。つまり、聞くだけでも、見るだけでもなく、先ずはその環境に我が身を置くことが、社会課題を「我が事」として捉える唯一無二の道なのではないでしょうか?
スタディツアーを実施して、参加者から「知っていたけれど、来てみて初めて理解した」という感想を聞く度に、あらためて、実践することの大切さを感じます。
プラチナ・ギルドの会も、これからも更に一歩踏み込んだ「我が事活動」を肝に銘じて、
今年一年頑張ってまいりますので、皆さま、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
2026年 元旦 理事長 久保 健
2025 年頭のご挨拶
皆さま、あけましておめでとうございます。
昨年、日本列島は猛暑に見舞われたので、さぞこの冬は暖冬と思いきや、日本海側は記録的な大雪、太平洋側も寒さが厳しく異常乾燥が続いております。そんな中、インフルエンザも例年以上に猛威を振るっておりますが、皆さま方はお元気でお正月を迎えておられるでしょうか?
2025年の干支は、乙巳(きのとみ)で、今まで積み上げてきたものが実を結ぶ年です。
皆さまにおかれましても、これまでのご努力が、多くの成果となり、実りあふれる一年となられますよう、心よりお祈り申し上げます。
さて、世の中はつい最近まで、“多様化と共生”がキーワードなんて言われていたのに、それと逆行して、時代は「分断社会」の様相を、色濃く呈すようになってきました。社会的な強者と弱者の格差が拡がり、相互に無関心を装っている、そんな時代だからこそ、社会課題解決の必要性が高まっているといえましょう。
こういう状況こそ、様々なNPOが随所で活躍してほしいものです。私どもも然り。
カッコつけるようですが「時代は、プラチナ・ギルドを欲しています!」
ところで、「一年の計は元旦にあり」とよく言われます。
私も、毎年正月には「今年は変わるぞ、ああしよう、こうしよう」と思い立つのですが、文字通りの三日坊主で、松の内を過ぎる頃にもなると、また元の木阿弥。
発想することよりも、実行し継続することの難しさを痛感しています。
人間は、慣れたこと、簡単そうに見えることから着手し、未経験のことや難しいこと、大事なことは後回しにする生き物です。余程エネルギーを集中させない限り、自らの硬い殻を破ることは出来ません。
私も長いこと生きていますが、こうまで毎年継続出来ていないのは、
「本当は変わろうと思っていない」「変化することへの情熱が薄いから」では?
と思ってしまうのです。
今年は巳年なので思い浮かぶのが、19世紀ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの「脱皮出来ない蛇は滅びる」という言葉です。
私は哲学に全く造詣がありませんが、ビジネスの世界では昔からよく聞かされた格言です。蛇のような爬虫類は、成長する為に脱皮を何回か繰り返しますが、脱皮不全に陥ると、血行障害を起こし死に至ることもあります。
この蛇に人間の成長をなぞらえて、「自分の古い殻に閉じこもった人間はダメになる、人間は常に変化を求めるべきである」と諭しています。
「成長したい」「変わりたい」…蛇がどこまでそう思っているのか、気持ちまではわかりませんが、きっと脱皮する際の蛇は、もがき苦しみ、のたうちまわりながら、悲壮な覚悟を持って全身のエネルギーを発出し、古い皮を打ち破るのでしょう。
ニーチェは、「生きることは苦しむこと。苦しみの中で何を学び、どう成長するかが重要だ」とも言っています。
伝統的なキリスト教の来世志向を否定し、「神は死んだ」と激しく批判しました。現世でのあらゆる負の結果を受入れ、現状を克服することに「超人としての価値」を見出したニーチェらしい言葉です。
彼は、「新しい刺激を進んで受け入れて生き抜く力」を重視しているのです。
プラチナ・ギルドの会も、おかげさまで今年14年目を迎えます。
この間、多くの皆様に支えられて活動を継続することが出来ました。
次なる飛躍に向けて、定例会事業・顕彰事業・研修事業・支援コンサル事業、それぞれに今年は新しいチャレンジを実行し、事業を展開してまいります。
熟年のエネルギーを集中して「脱皮」を目指します。
定年退職世代のシニアを中心とした団体だからこそ、将来を夢見るよりも、
「どれだけ社会の多くの人々と、新しく出会うか」、
「今この瞬間、何を感じ、どう自分のエネルギーを集中させられるか」、
そして、「今をどう美しく生きるか、どう輝けるか」、
これが重要だと思うのです。
引続き、皆さま方の厚いご支援・ご協力を賜れますと幸いに存じます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
2025年 元旦 理事長 久保 健
P.S.
ところで、ニーチェですが、44歳のある日、イタリアのトリノの広場で、動けなくなって人間に鞭打たれる老いた馬を見た瞬間、突然大声で泣き出し発狂してしまいます。
以降、彼は精神病院に送られてしまい、生涯の活動に終止符を打ちました。
ニーチェが何故、馬を見て発狂したのかは定かではありません。
しかし、生きることを追求し、超人を目指した彼の思想家としての価値が、それによって下がるものではありませんね。「自分の生き方は自分で、苦しみ、もがき、決める」、
ニーチェの人生は、最後も案外、彼の書いたシナリオ通りだったのかもしれません。